三菱製紙 統合報告書2025
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4三菱製紙グループについて近代洋紙製造業の勃興三菱とウォルシュ兄弟神戸製紙所から三菱製紙へ 近代化が進む中、洋紙需要が急増し、ウォルシュ兄弟は木綿ボロのパルプ工場を神戸に建設した。日露戦争から第一次世界大戦にかけて洋紙需要は更に増し、神戸から高砂工場へ移転、東京に中川工場を新設した。ボロ・藁から木材へとパルプ原料を転換し、上等紙生産を拡大した。アート紙について、特に高いシェアを獲得していた。神戸市三宮から、兵庫県高砂市に工場を移転(現高砂工場)創業まもないころの高砂工場1898年  神戸市三宮においてウォルシュ兄弟が経営していた製紙会社を岩崎久弥が譲り受け、合資会社神戸製紙所を設立1917年  東京都葛飾区に中川工場を新設(2003年3月閉鎖)      組織を株式会社に変更、社名を     三菱製紙株式会社と改称高砂工場1号コーター京都写真工業株式会社と合併し、写真印画紙を製造する京都試製工場を新設(現京都工場)1925年  本社を兵庫県高砂市から     東京都千代田区有楽町に移転1935年  高砂工場でバライタ紙の研究が完成1950年  印画紙「月光V」(青黒調)を発売1965年  三菱カラー印画紙を発売1971年  中川工場で不織布の生産を開始京都試製工場(現京都工場)中川工場試験室八戸工場を新設白河パルプ工業株式会社と合併八戸工場1号抄紙機試運転1974年  ダイレクト製版システム     「三菱シルバーマスター」を発売 1981年  本社を東京都千代田区丸の内に移転1989年  デュッセルドルフに、現地法人Mitsubishi Paper GmbHを設立1995年  ニューヨークに三菱商事株式会社 との合弁販社Mitsubishi Imaging (MPM),Inc.を設立感熱紙高砂工場 生産開始各種情報用紙1898年創業〜1920年代創業1901年1944年1930〜1950年代戦時下での変容と戦後復興原料統制下での製品多様化特殊紙・印画紙への進出 写真印画紙用原紙(バライタ紙)は戦時下輸入が困難となり、国産化が望まれていた。高砂工場でバライタ紙の開発に成功し、続いて中川工場で生産を進め、京都写真工業株式会社(現京都工場)と合併した。 印画紙は当社を代表する特殊紙となり、戦後に開発された印画紙「月光V」も好評を博し、京都工場の礎となった。1966年1960〜1970年代激しい景気変動と情報通信の拡がりパルプから紙までの一貫体制の確立情報用紙の急激な需要増 激しい市況変化に対応するには徹底したコストダウンは必須であり、パルプ・紙の一貫大量生産が可能な八戸工場を新設し、北上工場では、原料を100%国内材とするパルプ工場としての足場を固めた。 高砂工場は、ファクシミリ、ワープロなどの情報通信機器の進展とともに情報用紙の製造工場へと変化していった。1972年歴史・伝統から“SHINKA”へ ―三菱製紙グループ 価値創造の軌跡 三菱製紙グループは、1898年に神戸市で創業して以来、高い技術力を背景に、社会に有用な特色ある数々の製品・サービスを開発し、お客さまに満足していただける「価値」を提供してまいりました。 長きにわたる歴史と伝統をベースに、ステークホルダーの皆さまの「価値」を重視していく姿勢は現在にあっても変わることはありません。

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